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【モテる法則】がんばるのをやめると、ありのままの私が現れる
モテるとどうなる?どんどん引いていくと「自身」という「自信」が残る
お母さんを幸せにできなかった。
お母さんの役に立てなかった。
小さい頃に勝手に感じたこの罪悪感は、
大人になってもあなたをいろんな場面で苦しめます。
私はダメな子。
私は劣っている。
劣っている私は、がんばらなくちゃ愛されない。
でもどんなにがんばってもがんばっても、報われない。
この不幸のサイクルを断ち切る方法は、自信を持つこと。自分を信じることです。
自信満々の女と言えば、引き算の女の出番です。
引き算の女がどんな女だったか、もう一度思い出してください。
引き算の女は、ありのままの私でいい。そのままの私で誰からも好かれると思っています。そう、これです。
ありのまま、そのまんまが自信があるという状態です。
ありのまま、そのまんまの素の自分を、ただ信じればいいだけです。
ありのままの自分は、失敗もするし、低い評価を受けることもあります。
嫌われることもあるし、人から攻撃されることもあります。
でも、それでもいいのです。
それでも、私には価値があると信じるということが大切です。
自信はなくしたものを、付け足して手に入れるものではありません。
自信は、もともと自分の中にあるものを取り戻すことをすれば、得られるものなんです。
では、認められるために、あれもこれもと付け足してがんばってきた足し算の女は、取り戻すためにはどうすればいいのでしょうか?
足して来たものを、引いていけばいいのです。
足してきたものを、全部捨てればいいんです。
頑張ったからできるようになったことを、一つづつやめてしまえばいいのです。
捨てる勇気を持つということです。
なにもしない、役立たずな人間に戻るということです。
どんどん引いていったら、自身という自信が残りますから。
でも、なにもしないって、聞いただけで怖いでしょう?そりゃ、怖いですよ。
たくさんの覚悟がいるはずです。
だって、今まであれがない、これができないって、何十年もかけて一生懸命がんばって手に入れてきたものを、全部、手放すということなんだから。
でも、怖さに立ち向かって手放してみてください。
なんだ、こんな私でも許されるんだ。ダメな自分でも、大丈夫なんだ。
そう気づくことがたくさん見つかるはずです。
なんだ、こんな私でも許される。ダメな自分でも、大丈夫。という発見は、なんだ、あったんだ!と自分の中のあるに気が付くということです。
先述で説明した通り、足し算の女と引き算の女の大きな違いは、この「ある」を前提にできるかどうかです。
自分の弱みを人にみられたくないと思って、たくさん重ねてきた鎧を脱いでみると、あれ、大丈夫かも!できない自分のままで、愛されるんだ!と思えるようになります。
それが「自信がある」という状態です。
本当の自分を取り戻したということです。
そもそも、がんばるには2種類ある
がんばらない!何度も言いますけど、本当にこれが、すごく大事です。
こういう話をすると、かならずこう言う人がいます。頑張るのは、悪いことですか?
彼が困っていたら助けたいし、彼が悩んでいたらなんとかしてあげたい。
彼が大変なときがあれば、支えてあげたいと思うのは悪いことでしょうか?
うん。そうですね。結論から言えば、がんばるのは悪いことではありません。
自分が熱意をもって取り組んでいることは、多いにがんばればいいと思います。
でもそういうときって、がんばっているけど、わくわくしているでしょう?
大事なのは、なんのためにがんばっているのか?ということです。
認められたくて頑張る人は、
彼の役に立つため、
彼に好かれるため、
彼を自分のものにするために頑張ります。
それって、彼の評価、つまり人目がとても気になっているということです。
そういう人のがんばりは、がんばることが好きなのではなく、嫌われることが嫌い。なだけということです。
嫌われることが嫌いだから、嫌われないためにがんばっているだけです。
そして、頑張ることで、愛が手に入ると思っている。
愛情は、自分が提供したなにかの対価だと思っているのです。
その根底には、私はこのぐらいしないと人に好かれない。や、私は、この程度の人間だから、がんばらなくちゃ認められない。という罪悪感があります。
罪悪感を抱えているがんばりは、すごくしんどいです。
【モテるために】もっと存在価値を高めよう!
赤ちゃんって、突然泣き出して周りを戸惑わせたり、おしっこやウンチもみんな人に面倒をみてもらっています。人の手をものすごく借りています。
でも、彼からもかわいがられるでしょ?
やってもらってもお礼も言わないし、愛嬌を振りまいているわけでもない。
でも誰からも愛されています。あの状態が、私たちの本来あるべき基本形です。
がんばらなくても、愛されている状態ということです。
なにも成果を出していないけれど、愛されている。
誰も喜ばせていないけれど、愛されている。
人に迷惑をかけているけれど、愛されている。
役に立っていないけれど、愛されている。
お金を使ってばかりだけど、愛されている。
寝ているだけなのに、愛されている。
これは全部、なにもしていない自分。なにもできない自分。好き勝手している自分です。
もちろん、それを迷惑に思う人がいるのも当たり前です。だけど、それでも愛されているんです。
私たちは本来、なにもしてなくていいし、なにもできなくていいし、なにをしていてもいいのです。ただ自分がいるだけでいいということを存在価値と言います。
自分には存在するだけで価値がある。
そう信じるのは勇気がいるし、半信半疑かもしれないけれど、なにもしてなくても、もともと素晴らしい自分だということを知ってください。
それを知らないだけです。あなたは、もともと白鳥なんです。
だから、みっともない自分を隠さなきゃとか、すごい白鳥にならなければと頑張る必要はありません。
大きく見せる必要も、どうにか認めてもらおうとする必要もありません。
ここまで僕が何度もそう言っても、がんばらなくていいということが信じられずに、頑張る人はやはり頑張ります。
好かれようとしてしまう。
役に立とうとしてしまう。
喜ばれようとしてしまう
尽くそうとしてしまう
助けようとしてしまう
なんとかしようとしてしまう
そうしてないと、怖くていたたまれないのです。
そうしないと、彼から嫌われてしまう、周りの人が離れて行ってしまう、目の前の人が大変なことになってしまうと思っているから、怖いのです。
そして、自分でがんばることが好き。そういう自分が好き。だと、思い込んでしまっています。自分の存在価値が信じられない人ほど、がんばるに逃げてしまいます。
今まですごく、頑張ってきたのに。ちゃんと成果もあげられたよね。
成果が、あげられなかったこともあったよね。
がんばれなかったときもあったよね。
そしてまた、ダメだった。
こういう「もがき」があるからこそ、がんばらなくても、よかったんだって気付く時がきっときます。
まずは、がんばるを、やめていきましょう!
人に尽くさないで、自分につくしてみましょう!そろそろ、そんなふうに思っていいんじゃないでしょうか。
【モテる人とは!?】全部がありのまま、そのまんまで完璧
僕はここ数年、以前からやってみたかった歌を本格的にはじめて、ボイストレーニングに通いはじめました。ボイトレって一言で言えば、本来の声の出し方を学ぶことです。
僕たちは誰かと話すとき、べつにがんばって声を出しません。
声を張って話さなくても、十分に相手と会話ができます。
それが、本当の自分の声です。
ところが、カラオケに行ったときを想像すればわかると思うけれど、歌を歌うとなると、みんなとたんに構えて声を出さなきゃ!と思ってしまいます。
そもそも、僕たちは人にちゃんと聞こえる声を出す能力を持っているのに、急に別の力を加えて、違う声にしようとしてしまいます。
そうではなくて、あなたの本来の声はこうだよって戻していくのがボイトレです。
もちろん、メロディに乗せて歌うとき、多少のテクニックは必要です。
例えば、ドレミファソラシドって音階も、自分では、ドレミファソラシドって歌っているつもりでも、録音して聞いてみると、あれ?なんか違う・・・ということはよくあります。
つまり、耳で聞く声と、自分が発声している声は違うので、それを合わせるためのレッスンをしていきます。
このとき、いちばん音階に合わせやすいのは、大きな声や作った声ではなく、その逆で、声を出そうとしないことです。
声も、ありのまま、そのまんまでいいということです。
もっと言うとギターもそうです。
僕は昔、プロのギタリストがギターをかき鳴らしているのを見て、すごくかっこいい!と思いましたし、激しく弾くもんだと思っていました。
でもギターはかき鳴らすと、音がおかしくなってしまいます。
なぜかと言うと、ギターは、そっと弾いても音が出るように作ってあるからです。
ギターはペローってなでるだけで、ちゃんと音が出るように作られている楽器なのです。
ゴルフもそうです。ゴルフクラブはどれも角度がついていて、ボールがちゃんと飛ぶ構造になっています。
だから、ふつうに振るだけでいいのに、無駄な力を入れるから変なところに飛んで行ってしまう。僕の声もギターもゴルフクラブも、全部、そのままでいいということです。
物事は、全てあるがままで、既に完璧です。
ギターもゴルフクラブも、あなた自身もです。
【モテるために】親目を気にするのは、もうおやめ
今までどんどん足してきたものを、捨てる勇気を持つために必要なのは、自分は何があっても絶対に大丈夫という大前提です。
損しても損しない。
傷つけられても、傷つかない。
嫌われても、嫌われない。
なぜかって、それが引き算の女が言う「私だから」です。
私だから、なにがあっても絶対に大丈夫なのです。
そういう気持ちで生きていると、自然に同じような仲間に囲まれていきます。
足し算の女は思い切って、どんどん捨てましょう!傲慢になってもいいのです。
媚びをうらなくってもいいのです。
どんぢん自由に振る舞っていいのです。
あの人に嫌われるから、やめておこう。
世間にヘンな目で見られるからやめておこうって、人の物差しで動く必要はありません。
あなたの人生ですから、そんなものに振り回されることほど、もったいないことはありません。
ここで主張したら、上司に怒られるかも。こんな服装をしたら年を考えなよ!って笑われるかも。
一人焼肉なんてしたら、「あの人、友達いないんだ」かわいそうな人!って思われるから、できない。
こんなふうに気にするのも、人目を気にしているからです。
僕もやってみたいけど、まだ、一人焼肉と一人カラオケはできません。
でも人の目って結局、親の目です。
「ちゃんとしなさい」
「口答えしちゃだめよ」
「恥ずかしくないふるまいをしなさい」
「みんなから笑われるよ」
こんなふうに親に言われて育ったら、たしかに世間様を気にするようになってしまいますよね。
そして、いろいろなことに対して「あれは、やってはいけない」「これもすべきではない」って、やりたいことに制限をかけて生きてしまう。
でも、もうそろそろいいです。
親目を気にするのは、もうやめましょう!
親の目、親の教えを破ってみてください。
自分のやりたいことをするのに、親の目を気にしないようにしましょう!
【モテるために】嫌われても、嫌われない
自分が自分らしくやりたいことをやって、それで嫌われたとしたら、むしろ、そういう人からは早いところ嫌われた方が良いです。
さっきも書いた通り、僕はここ数年、歌を歌いはじめました。
ギター弾きながら歌を歌って全国ツアーまでしています。
そうすると、心理カウンセラーが、歌なんて歌っていいの?と言われます。
だからといって、そういう人の意見を気にしていたら、ずっと歌えません。
でも、嫌われることを恐れて、やりたいことができないなんて、あまりにももったいないですよね!
人の目を気にしていたら、やりたいことなんてなに一つできなくなってしまいます。
芸能人で、わかりやすいゲスデレラの代表格と言えば、叶姉妹だと思います。
サイボーグ並みのナイスバディを惜しげもなくさらして、男が好き!と言い切るあの清々しい感じ。
どう考えても振り切っちゃっています。
人の目なんて気にしていませんよね。
でも、あそこまで我が道を貫いていたら、もう中途半端には嫌われないでしょう?
すごく嫌う人も中にはいるかもしれないけど、彼女たちに共感しているファンはたくさんいます。
叶姉妹とはある意味、対極にいるけど同じゲスデレラなのは大阪のおばちゃんです。
彼女たちも相当なものです。
いつも知り合いやら、知り合いじゃない人やらに声を掛けて
雨ちゃん、いる?って・・・。
大胆にもヒョウ柄の服を着て、旦那さんを尻に敷いて笑っている。
旦那さんのお小遣いもそこそこに、自分は海外旅行に行っちゃうからね。
海外でも、強引に日本語で通そうとする根性もある。
大阪のおばちゃんは、
周りにどう見られているかなんて、まったく考えていません。
媚びないし、遠慮もない。
まさに引き算の女、ゲスデレラです。
嫌われる勇気を出して、思い切って嫌われても、なにも問題はないです。
嫌われても、嫌われない。そもそも嫌われると思っていないです。
【モテる法則】ダメな私も、良い私もどちらも価値がある
やりたいことをやっていい。
人の目を気にしないでいい。
もっと傲慢になっていい。
こういうと、そんな人にはなりたくありませんって言う人もいます。
私の同僚は自分勝手で、上から目線で、あの傲慢な感じがイヤなのです。
ああいう人になれって言うのですか?と。
傲慢な人が嫌い、傲慢になんかなりたくない!という人は、わざわざ傲慢な人を見つけて、あ、やっぱり傲慢になると、人に嫌われる。と確認しています。
自分がこれまで持っていた傲慢な人は嫌われるという大前提を確認しているわけです。
あの人傲慢だよね?そうだよね!感じ悪いよね!そんな会話ができる仲間を見つけて、証拠集めをしているわけです。
でも、傲慢と言われている本人は、実は、それでも幸せかもしれません。
だから、人にとやかく言われる筋合いはない。
あなたには嫌われているかもしれないけど、他の人も同じように嫌っているとは限らない。
いや、嫌われていたとしても、そんなの全然、構いません!
本人には愛する家族がいて、趣味で楽しむ友達がたくさんいて、やりたいことをやれて幸せかもしれません。
そう考えると結局は、私の受け取り方の問題になります。
引き算の女を思い出して、その思考から離れましょう。
傲慢でもいいと思ってみてください。傲慢になってみれば、自分はなにをやっても絶対に大丈夫!という気持ちが少しづつ芽生えてくるはずです。
引き算の女が「私だから、大丈夫!」っていうあの感覚が、だんだんわかってきます。
もし、私、傲慢になり過ぎ?と不安になったら思い出してみてください。
バーベキューでは肉を運ばせ、ビールをつがせ、それをただおいしそうに飲み食いするだけの引き算の女。ほんとにゲスい引き算の女のことを!
あのぐらい傲慢で、気ままで、自由でいい。だって、私にはその価値があるから。
私がいいんだから、それでいいんです。
がんばっても、がんばらなくてもいい。
成果があるときも、成果がないときもいい。
いい点数をとっても、とらなくてもいい。
お手伝いを頑張っても、がんばらなくてもいい。
なにをしていても、なにもしていなくてもいい。
どんなときでも、自分には価値がある。
だから愛されていると信じている。
ありのままの自分、そのまんまの自分を信じている。
だから、引き算の女は、あれほどゲスになれるのです。
ありのまま、そのままの自分は、頑張る必要も、成果を出す必要も、実績を残す必要もありません。
なにもできない自分のままでいいからです。
ありのままの自分で価値があるということにした。
ありのままの自分が素晴らしいということにした。
すごい自分じゃなくて、何もできない自分、最低かもしれない自分でも、素晴らしいということにした。
それでいいのです!あれもこれもと付け足してきた足し算の女も、引いて、引いて、引いていくと、小さな自分、本当の私が顔を出します。
本当の私は、彼に尽くすような女じゃないでしょ?
もっと適当だし、もっと怠け者だし、褒められることなんて、なにもできない。
料理だって面倒くさいし、掃除や洗濯も全然好きじゃない。
服装だって、彼好みの洋服より、自分が着たいものを着たい。
そういう私でもいいのです。
ゲスな女ってそういうことです。
自信があるって、そういうことです。
なにも足していない、なにも積み上げていない自身は、決して崩れません。崩れようがないからです。
私たちは思えば思うほど、その思考に近づいていくという能力を持っています。
いいことでも悪いことでも、強い思いは現実になります。
それがいいことにつながれば問題がないけれど、ネガティブに作用することもあります。
たとえば、否定命令という言葉があります。
どういうことかと言うと、ダメと言われれば言われるほど、やりたくなる!ということです。
行くな!と言われたら行きたくなるし、見るな!と言われたら見たくなる。
同じように、考えるな!と言われたら、そればかりを考えてしまいます。
あの人のようになりたくないって思うと、あの人のようになる。
あんなふうにはなりたくないと思えば思うほど、その人を意識して思い出して観察してしまいます。
その人のイメージをずっと頭の中で描き続けて、いつの間にかあんなに嫌だったはずの人に近づいてしまいます。
それは困るでしょう。では、どうすればいいか?
否定しなければいい。許可すればいい。つまり、こういうことです。私は、あの人のようになってもいい。
そう思うことが大事です。
あなたにとって、いちばんなりたくない人、認めたくない人は誰でしょうか?
会社にいる同僚かもしれません。
もしくは、あんなに頑張ったのに、褒めてくれない母親かもしれません。
でも、いちばんみとめたくない人は、あなたの中にいるはずです。
だって、それを絶対に認めたくないから、あなたは今まで頑張ってきたんですから。
そんな小さな自分を認めてあげましょう!
自分で制限をかけているから、どんどん不自由になるのです。では、それを解放しましょう!
私は弱くていい
私はダメでいい
私は自信がなくていい
私はかわいくなくていい
私は大事にされなくていい
私は嫌われてもいい
私は仕事ができなくてもいい
私は気が利かなくていい
私は愛されてもいい
私は大切にされてもいい
そうなってもいい!と自分に許可を出してあげてください!許可が出たときはじめて、そうなってもいいし、そうならなくてもいい!と、自分でどちらかを選ぶことができます。
ダメな自分も、いい自分も、どちらの自分も肯定できるようになります。
【モテる法則】思い切って引き算してみると、うまく回りはじめる!
僕自身、足し算の男をしていました。
年収がこのぐらいになったから、自信がついた。
セミナーに100人来たから自信がついた。
というように、条件つきの自信を心の拠り所にしていた時期がありました。
でもあるとき、これではダメだ!と思いました。
そして、どうしたのか?いったん、ほとんどすべての仕事をストップしました。
引いて、引いて、引き算をしました。
もちろん、ものすごく怖いですよ。これまで何十年もかけて積み重ねてきた成果を全部、棒に振るかもしれませんからね。
二度と仕事は頼んでもらえないかもしれないなとも思いました。
そうしたら収入だって絶たれてしまいます。
でも、いいや!やめてしまおう!そして実際、やめてみたら何が起きたか?大丈夫だった。
仕事ができない自分でも、収入が減った自分でも、取引先の信用を失った自分でも、それでも大丈夫でした。
引いて、引いて、残されたありのまま、そのままの自分の片鱗を見つけた瞬間でした。
ダメな自分でいい、ダメな自分で価値があることに気づいたのです。
誰かの期待に応えようと頑張るのをやめた。
がむしゃらに稼ごうとするのをやめた。結果を出さないと!と焦るのをやめた。
がんばる!稼ぐ!結果を出す!付け足し付け足しの人生には際限がありません。
だから足し算の女はしんどくなる。
だからみんなも足し算をやめて、引いてみてほしいのです。
やめる。手放す。断る。離れる。捨てる。絶つ。
そういう勇気を出したときはじめて、ありのままの自分がどういうことか身をもって体験することができます。ありのままの自分で大丈夫なんだ!とはっきりとわかります。
うまくいっても、うまくいかなくても、自分の勝が変わらないことが実感できると、何かわからないけど上手に回り出すようになります。
モテるために!目の高さを変えると、見える世界が変わる
10階にいる人は、38階に行きましょう!そういうと、38階は、レセブが住んでいる所?と聞かれることがありますが違います。
一言で言えば、38階は引き算の女が住んでいる世界です。
罪悪感のない世界です。
自己価値が高いとも言います。
38階は眺望抜群!だから俯瞰して物事が見られます。
自分と相手との関係を、客観的に見ることができます。
一方、10階は足し算の女が住んでいる世界です。
罪悪感があり、自己価値が低い世界です。
10階の住人は、視野が狭く見晴らしが悪いので卑屈になります。
「どうせ」という思いに包まれて、我慢して、苦労して、努力して、妬んで、いじけています。
俯瞰して物事が見られないので、トラブルも絶えません。
いつも不安で、イライラして、疑って、素直に愛情を受け取れない。
問題でもないことを問題にしてしまい、それを解消したくて頑張り続けてしまいます。
10階の住人と38階の住人の違いは、視野が広いか狭いか、俯瞰して物事が見られるか、見られないかということです。
つまりこれは、自分が問題の渦中にいるかどうかということです。
視野が狭く、俯瞰して物事が見られないと、目の前の現実に振り回されてしまいます。
俯瞰して見られない人は、小さなネズミも大きな猛獣に見えるかもしれません。
38階の住人から見ると、点にもならないネズミなのに。
誤解しないで欲しいのは、どちらか一方が凄い!ということではありません。
10階に住んでいる人は10階の考え方やモノの見方があり、38階に住んでいる人は、38階の考え方やモノの見方があって、どちらの目があってもいいということです。
10階の蟻の目と、38階の鷹の目。
どちらの目もあるほうがいいのです。
つまり、10階と38階を自由に行き来できるようになればいいわけです。
引き算の女は、これをすると行き来できてしまいます。
でも、10階にいる足し算の女は、引き算の女が住む38階がどんな世界かを知りません。
だから拗ねてみたりバカにしたり、常識がない。ずるい。ろくなことしてない。
うさんくさい!と否定して、近寄らないようにします。
行こうと思ったらエレベーターに乗るだけで簡単に行けるのに、かたくなに10階にい続けるのって、すごくもったいないとは思いませんか?
拗ねていじけて、38階は自分らしくない!居心地が悪い!と言っていても、それは、自分の素晴らしさをわかっていないだけです。
あなたには、もっとふさわしい場所があるのですから。
あなたはもっと大事にされて、豊かさを受け取ることができます。
それに気づいて、私だからこれでいい!と思えたら、10階から38階まで瞬時に移動ができます。
私だから大丈夫!そういえたら、それは、あなたが本来持っているホンモノの自信です。
38階からの眺めは、すごく見晴らしがいい!なにより、自分自身を生きることができるから、毎日がすごく楽しい。
だから、早く行きましょう!
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