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なるべく頑張らずに、成果主義社会を生き延びる時間術

なるべく頑張らずに、成果主義社会を生き延びる時間術

突然ですが、みなさん、知っていましたか。

ナマケモノという動物は、木の葉や木の実を1日に8グラムくらいしか食べないそうです。8グラムといったら、葉っぱ数枚ですね。

食べている姿がめったに見られないから、かつてヨーロッパでは「風を食べて生きている」と考えられていたんだそうです。なんか仙人みたいですよね。

なぜ、ナマケモノがわずかな食事だけで生きられるかというと、1日中ずっと、木の上で過ごして、ほとんど動かないからです。

スピードもめちゃくちゃ遅くて、普段は時速16メートルくらいで動いて、天敵に追われたときの最高時速もたった120メートル程度と言われています。

早く動きすぎると、体が熱くなって死んでしまうこともあるみたいで、不思議な生き物です。

一方、陸上生物の中で「最速」といわれるチーターのトップスピードは、時速110キロメートルほどだそうです。

肉食動物である彼らは、ナマケモノのおよそ1000倍という圧倒的スピードで獲物を追い込み、捕まえます。

ただ、持久力はあまりなく、20秒くらいしか走り続けられないので、狩りの成功率は半々で、獲物がとれなければ何日も空腹で過ごすこともよくあるみたいです。

格好いいイメージですけど、けっこう大変な毎日かもしれません。

僕はというと、ベッドに寝転がってゲームをしていたら、いつのもにか夜だったというのが日常茶飯事で、そういう日は1食しか食べません。

活動量が少ないぶん、それほど食べなくても生きられるという点は、ナマケモノに近いのかもしれません。僕の場合、さすがに8グラムちうわけにはいきませんが。

また、他の動物がせっせと食料をとっている中で「なるべく動かない」という戦略をとって、のんびり過ごしているところなども僕は好きです。

逆に、「時速110キロメートルで全力疾走して、大物を仕留められるいかもしれないし、食事なしかもしれない」というチーターの食料調達スタイルは、ちょっと割に合わないなと思ってしまうのです。

そんなわけで、今回は「ナマケモノの時間術」です。

何しろナマケモノですから、本当は「術」っていうほど立派なものではありませんが、一般的な「時間」の概念にがんじがらめになっている人には、役に立つかもしれません。

これからの時代、できるだけラクに楽しく生きて行くにはどうしたらいいのか。そのための時間の捉え方、扱い方を記事にしていきます。

「時間をやりくりする」という発想を疑ってみる

好きなことを好きなだけする毎日

僕の日常生活はというと、一言でいえば「好きなことをしている時間が大半」の毎日です。

今はフランスのパリに住んでいて、だいたい月1くらいのペースで日本に行きます。

パリでは、たいていは家でゲームをしたり、映画を観たり、漫画を読んだりして過ごしていて、週1ペースでYouTube動画も配信しています。といっても、お酒を飲んで好きにしゃべっているだけの動画なんですけどね。

そうしているうちに耐えられないくらいお腹が減ったら、何か料理して食べます。

別に空腹になるまで我慢しているわけではなくて、ゲームとかマンガに没頭していると、気がついたら時間が経過しているのです。

そこでお腹が減っていることにも気づいて、パスタとかを作って食べるというわけです。

以前、友人が「舌を肥やすな、飯がマズくなるぞ」なんて言っていて、そのとおりだなと思いました。

たしかに、おいしいものを食べれば食べるほど、普通のものを食べたときに特に「おいしい」と感じなくなります。

言い換えれば、「おいしい」と思える瞬間が格段に減るわけだから、幸せな時間も減ります。

おいしいものを食べようと思ったら、お金もだいぶかかるようになってしまいます。

でも、僕は極限までお腹が空いてから食べるので、たいていのものはおいしく食べられます。小さなことですが、そういうところでも、僕は幸せを感じる時間が多いんじゃないかと思います。

こんな感じで、特に予定もなく家で楽しく過ごすというのが、僕のパリでの日常です。

与えられた時間で最大の価値を作る

一方、日本にいる間は、毎日、何かしら予定があります。

知人や仕事関係の人に「いつからいつまで日本にいる」とお伝えると、たいていは「じゃあ会いましょう」「打合せしましょう」「飲みましょう」という誘いが入って予定が埋まって行くので、日本では「何もない日」がありません。

もし突然、予定が空いたらどうするかというと、東京の家に帰ります。家ならパソコンで映画も観られるし、漫画も読めますからね。

打合せ時間の使い方は僕なりに工夫していて、「日中」「夜」「深夜」と3つの枠に分けて、ひとつずつこなしていきます。

僕は約束の時間に遅れることがよくあります。遅刻する理由にちてはのちほど説明しますが、自分なりに誠意を持って時間を使っていると、結果として遅れてしまうのです。

たとえば予定が4つあったとすると、最初に2時間遅れた場合、玉突き式に2時間ずつ遅れます。すると、すべての打合せに「すいません、遅れました」と言って登場することになりますから、さすがに罪悪感が生まれます。

結果的に4倍、悪いことをした気分になるのです。だから以前は「日中」の前に「朝枠」も用意していたのですが、さすがにそれはやめました。

「どんなときでも、与えられた時間の中で最大の価値をつくる」

これが、僕の時間についてのお基本的なセオリーです。

もしかしたら、一般的な時間常識とは少し違っているのかもしれません。でも、自分に正直に生きて、なおかつ相手にきちんと価値を与えることを考えたとき、こうやって行動することが僕にとっては一番重要だったのです。

友達や仕事相手の人も、そんな僕を理解してくれて、いつも遅刻に付き合ってくれるんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、パリにいるときと違って日本では予定だからなので、夜寝る前に、Googleカレンダーで次の日の予定を見て、起きなきゃいけない時間をチェックしたりもします。

まあ、そのとおりに起きられるかどうかは別なんですけどね。

睡眠時間も削られてしまいがちですが、たいていは面白そうな話に乗っているだけなので、楽しく過ごしているという点では変わりません。

時間は有限じゃなくて、むしろ「余っている」

これほど適当に生きている僕ですが、運よく、一般的な会社員よりだいぶ多くのお金を手にすることができています。

いくつか日本企業の役員を務めているほか、単発仕事としては、ゲーム開発などのプロジェクトを率いたり、ネット番組やテレビ番組に出演したりしています。

あとはYouTube配信でちょこちょこお金が入るのと、仕事ではないのですが、ずっと前にまとまった額を投資したのもうまく回っていて、資産は着々と増えています。

こんな感じでお金は得ていても、時間に追いたてられているということは、全くありません。

もしかしたら僕は、どこか「時間が余っている」という感覚で生きているのかもしれません。

やりたいことや、やらなくてはいけないことがたくさんあると、「なんとかうまくやりくりして、実行しなくちゃいけない」という気持ちになると思うのですが、僕にはそういうのがないんです。

「余った時間で楽しいことができたらラッキー」という感覚の方が強いです。そのせいか、何かをするための時間を確保しようという意識もありません。

考える時間は大事だと思っていますが、無理をして「考える時間を確保しよう」とは思っていなくて、移動中とかシャワー中とかに、どうやってプロジェクトを回そうとか、あの問題はどう解決しようとか、考えているだけです。

あとは、パズルとか推理が趣味なので、街を歩いている時間などに面白半分で、完全犯罪が成り立つ方法を考えたりもします。

人間の脳は、頭を使わない単純作業をしているときのほうが、思考しやすいようにできています。

だから、わざわざ考えるための時間を確保しなくても、歩いているときや電車に乗っているとき、お風呂に入っているとき、あるいは、料理中にひたすら玉ねぎを刻んでいるときなんかに、いろいろ考えることはできるのです。

「死ぬまでに絶対やりたいこと」は、あるか?

そういえば、まえにお金持ちの知人と話していて、「人生でやりたいことリスト」をそれぞれ作ってみたことがあります。

その知人の李sとには「北朝鮮の難民を助ける」といった社会的で壮大なことが並んでいたのですが、ぼくは正直、そいうことには興味がありません。

そして、僕自身、やりたいと思っていたことは、今までの人生で思い出せる限り経験してしまっていました。気付いてみたら、特にリストアップしたいことがなかったのです。

海外旅行なんかも、すでに53か国くらいは制覇したし、行ってみたかった国は全部まわったし。

もちろん、「生きるのが空しい」とかではなく、人から「ここ行かない?」「これやらない?」なんて誘われて、楽しそうだと思ったら「行く、行く」「やる、やる」ってなりますよ。

ただ、自分から熱烈に「これだけはやっておかないと、死んでも死にきれない」みたいなものが特にないのです。

ただ気の赴くままに、その日そのときに、やりたいことをしながら生きている。観たい映画や、やりたいゲームは、一生困らないくらいあるし、ある意味、忙しいことは忙しいのですが、基本的に好きなことばかりなので、ラクに楽しく暮らしているというのが今の僕です。

これから話していくのは、そんな日常の中で普段から感じていることや、日常を改めてふり返ってみて、「そう、こういうことなんだよな」と思ったことです。

「へえ、いいじゃん」というものがあったら参考にしてみてください。

「時間を守る」って、そんなにエライわけ?

睡眠欲には逆らわないほうがいい説

最近読んだ記事によると、「早起きできるかどうか」は体質次第で、早起きに向かない人が早起きすると、効率が下がったり体調が悪くなったりするそうです。

「早起きは三文の徳」「早起きは身体にいい」というのが世間の常識で、「早起きできないやるはダメ人間」みたいな見方もあるようですが、体質で決められているのなら仕方ありません。それが証明されて、よかったですよね。

そういう僕は、朝型でも夜型でもなくて、「眠いときに寝て、目が覚めたら起きる型」です。

眠ければ昼寝もします。そうなると、1日の区切りもよくわからないから「1日何時間寝る」というのもありません。

強制的に起こされるのは、日本に帰国中、テレビで朝の生放送番組に出演する日ぐらいです。このときばかりは、迎えの車が来て「到着したので、起きてください」って携帯電話をガンガン鳴らされるので、さすがの僕も起きるしかありません。ごくたまにですが、目覚まし時計で起きる朝もあります。

僕たちの体内では、「サーガディアンリズム」という、いわゆる体内時計が刻まれていて、何もなければ、寝る時間と起きる時間が1時間づつ後ろにずれていきます。

そして、僕みたいに予定もなく1日を過ごしがちな人間は、その影響が特に顕著な気がします。

一般的には、朝日を浴びることで、そのずれがリセットされるそうなんですが、好きなことをして夜更かししがちな僕は、朝日を見ると逆に眠くなってしまいます。というわけで僕の生活サイクルは、テレビの生放送で強制的に起こされる日にリセットされて、また1時間ずつずれていくのです。

寝ている時間は無意識だから、「起きよう」と思って起きるのは無理ですよね。そこで多くの人は、目覚まし時計を使って無理やり意識を覚醒させているわけですが、僕は満足するまで寝たいから、自然と無意識から意識がある状態になって目が覚めたらおきるというのが一番だと考えています。

夜は、寝落ちする直前までゲームをしたり映画を観たり好きなことをやっています。

だから、ベッドに入って何もせずに目を瞑って、眠れる瞬間を待っていることもありません。これは結果論ですが、「もう起きていられない」というギリギリまで起きていて、ガっと深く寝たほうが、あまり眠くない状態で眠りに入るより、僕の性に合っているみたいです。

最近、けっこう多くの人が、布団に入ってなかなか寝付けないと悩んだりしています。「睡眠負債」なんて言葉が流行ったりするのも、「何時に寝て、何時に起きなくてはいけない」という強迫観念があるから“負債”なんて考えるわけですよね。

もう睡眠の「適性な時間」とか、あまり気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。

夜、布団に入ってただ目をつぶっていると、「今日はこんなことでへこんだ」とか「なんでアイツは、いつもああなんだ」とか考え始めますよね。

たいていロクでもないことなので、メンタル的にマイナスになる危険も大です。

だから、会社員だとなかなか難しいかもしれませんが、1日の終わり、せっかく自分だけのために使える時間を「寝落ちするまで好きなことをして過ごす」っていうのも、案外いい方法なんじゃないかと思います。

「ピザ配達」は何年やっても儲からない

睡眠時間を削って何かをしても、寝不足では能力値が格段に下がっているから、あまりいいアウトプットができません。

だったら、睡眠不足のまま期限どおりに質の低いアウトプットをするより、ちゃんと満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいいんじゃないか、とおいうのが僕の考えです。

会社員だと毎日そんなサイクルでは生活できないでしょうけど、土日にとことん睡眠をとって、月曜日に仕事のピークを持ってくることなんかもできると思います。

そもそも、「時間どおり」「期限どおり」にこなすことに自分の仕事の価値があるって考え方は、特にこれからの時代、だいぶヤバいのではないでしょうか。

たとえば宅配ピザ店の配達のバイトは、「時間どおり」に価値を置く典型的な仕事と言っていいですよね。

時間あたりで受け取る報酬を大きくふやしたいなら、当然ですけど、その仕事の「価値」を上げる必要があります。

でも、ピザ店の配達は「ピザが冷めない30分以内に届ける」というのが価値であって、何年やっても、大きく価値を上げるんは難しいです。

「じゃあ、15分以内に届ければいいじゃん」って考える人もいるかもしれません。でも、ピザが届く時間が30分から15分になったところで、多少嬉しくはあるけれど、仕事の価値が劇的に上がるかというと、かなり微妙な気がします。

とにかく、「時間どおり」が価値になる世界って、そういうことなのです。

もちろん、「熱々のピザを届けて喜んでもらうのに無上の幸せを感じる」とか、「配達のバイクに乗って風を切っているときこそ人生の生きがいだ」とかのように、給料なんて関係なく、そこに幸せをお感じられるのなら、そのままでいいと思います。

ただ、現時点で提供している価値が、それより上がりようのない世界にいながら、「時給が上がらない」などと文句を言うのだったら、その仕事についてちょっと考え直してみたほうがよさそうです。

そもそも「遅刻は悪」なのか?

先程も書いたとおり、僕は人より遅刻が多いみたいです。だから最近は、「こいつは遅刻する」とわかっている人しか連絡をしてこない状態だったりします。

十分な睡眠をとらないとアウトプットの質が悪くなる、と言いましたが、日本に帰国中は毎日のように人と会う予定があるので、睡眠時間が削られて寝不足のまま出掛けることもあります。

たとえば、13時半に人と会う予定があるのに、前の晩から友達とファミレスで話し込んでしまって朝の7時に帰宅したときなんかも、寝不足のまま出掛けました。

といっても約束の時間には間に合わず、遅刻したんですけどね。当初の予定ではもっと早く起きるつもりだったのに、ちょっと寝ようと思ったら、思いのほか深く眠ってしまったみたいです。

遅刻されて怒る人もいるのでしょうが、そもそもの発想が遅刻を前提としていないからだと思います。待ち合わせ場所を決める時点で、「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決sるんじゃないでしょうか。

たとえば僕は、学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていました。書店なら、雑誌とか本を立ち読みしている間にあっというまに30分くらい経ってしまから、僕が遅刻して行っても怒られたことはありません。

むしろ相手が「ちょっと待ってて」なんて言って立ち読みを続け、僕のほうが待つ雰囲気になったり、「だったら僕も」と書店をぶらぶら物色したり、ということもよくありました。結局お互いにとって、ムダな時間が生まれませんでした。

待ち合わせというと駅前とかが一般的ですが、そういう場所で何もせずに待っている時間は、相当な時間の浪費だと思います。

遅刻の是非はともかくとして、遅刻を怒るタイプの人は、おそらく僕みたいな人間と仕事をしてもうまくいきません。

そういう人は、「時間どおりに来るべきだ」「間に合うように起きるべきだ」といった「べき論」で物事を考えていて、多くの場合、仕事も正攻法で考えるタイプです。

でも、僕は多くの人が考える「正しい方法」を取ることは多くありません。今までに何度も取られてきたような方法だったら、たぶん今までに出てきた以上の結果は出ないんじゃないかと思います。

だったら僕がやらなくてもいいと思うので、あえて正攻法じゃないほうをいくようにしています。つまり、僕にとって「遅刻を怒る人」とは、物事との向き合い方や仕事のスタンスが違っている、相性の悪い人ということになります。

そもそもの価値観が異なる人と組むことになって、いろいろとエネルギーを使ってすり合わせるのは、お互いにかなり非効率ですよね。

だから、正攻法が好きな人には、僕が遅刻したときにブチ切れるなりなんなりして、早めに離れてもらったほうがラクなのです。

もちろん、そこまで周到に考えて、あえて遅刻しているわけではないんですけどね。

自分だけの価値で生き残る

世の中には「時間どおり、予定どおりにこなすこと」を重視する風潮が根強いですし、「時間を守ること」に命をかけているような人もいますよね。たしかに、周囲と強調して物事を動かしていくことは大切なんですけど、そこには何の価値もお生まれていない、「空っぽの行為」もかなり多く見かけます。

会社なんかでも、時間どおりに集まれと招集をかけているのに、何も決めたいのかよくわからない会議とかが、けっこうありますよね。

いつまで定刻どおり、決められたとおりに動いているのに、能力次第でどこかに飛ばされる。会社ではこんなことも日常茶飯事です。それなのに、いつも会議をすっ飛ばしているやるが、意外な結果を出して上司から褒められたりするじゃないですか。

この間、経団連のエライ人も、「終身雇用なんてもう守れない」と宣言していましたし、組織が未来の安定を確約してくれる時代はもうすぐ終わってしまいます。

そうした世の中で快適に生きていきたなら、「自分だけの価値を生みだすこと」や「優先順位を意識して動くこと」をよく考えたほうがいいんじゃないかと思います。

僕の知り合いで事業を興して成功している優秀な人たちなんかも、みんな、そうしているように見えます。

前もって決めた予定どおりに、ただ仕事をこなすだけというのは、むしろ、何も考えていない人がやることなんじゃないでしょうか。

それだと「人から使われることに優秀な人」になれても、「自分で物事を動かすことに優秀な人」には、たぶんなれないだろうと思うのです。

仕事に時間を使う?遊びに時間を使う?

「頭は仕事に使うもの」という幻想

僕が思う「頭を使う」というのは、「どれくらい集中力を切らさないでやるか」ということです。

たとえば、学校の試験など、時間がすごく限られた中で、1秒も無駄にせずひたすら問題を解き続けるみたいなのは、頭を使っているという感じがします。

あるいはアクションゲームとかでも、0コンマ何秒単位で操作しないといけません。

ほんの一瞬でもボタンを押すのが遅れるとゲームが終わってしまう、というのを30分とか続けるわけです。ゲームをやっている人にしかわからない感覚かもしれませんが、これも頭を使っている感じがします。

でも、仕事において、それほどの集中が求められる状況は、あまり思い浮かびません。

どうでしょうか。仕事で1秒も無駄にできないとか、一瞬も遅れてはいけないとか、そんな状態が続く事態に陥るこおとなんて、ほとんどありませんよね。

「この資料を今日中に仕上げなきゃいけない」とか「この商品を午後3時までに納品しなきゃいけない」みたいなことはあるかもしれませんが、かといって会社帰りに、「はー、今日は1秒もムウだにせずに仕事した!」なんて、誰も思わないはずです。

そう考えると、ある意味仕事ってけっこうぬるいですよね。究極のことを言えば、仕事は頭を使わなくてもできるものだし、頭を使ってするべきものでもないという気がするのです。

プログラミングも所詮「片付け」

たとえば営業職などでも、頭を使ったかどうかで結果が大きく変わる場面って、それほど多く出会わないんじゃないかと思います。

「うちには、こういう商品があります。あなたにとって、こんなメリットがあります」という情報を伝えて買ってもおらうのが、一般的な営業の仕事です。

相手のニーズをうまく聞き出すコミュニケーション能力や、多少話を持って商品をよさげに見せるといったプレゼンテーション力で結果が変わることは、当然あるでしょう。

でも、それって、売れる営業マンは「いつものテクニックを使っている」に過ぎなくて、「頭を使う」っていうのとは違う気がします。

プログラミングなんかもそうです。画面上に何かを表示させるために、必要な指示を並べていくのがプログラミングですが、それは「やるべき作業をこなしている」だけであって、別に「頭を使っている」わけではありません。

「あるべきものを、あるべき場所に並べて行く」という意味では、プログラミングは掃除や片付けに近いですね。

あるいはデータ分析も同じです。

データを作るときの計算だって、頭を使って暗算するより、計算機を使ったり、エクセルの表計算機能をt買ったりしたほうがラクで正確ですよね。そして、「数字を入力する」こと自体に頭は使いません。

計算機やエクセルではじき出された答えでもって人に説明したり、提案したりする。それも相手を納得させるというゴールに向かって、「情報を順番に提示している」だけで、たぶん誰がやっても、だいたい同じ順番で話すと思います。

そして話す情報はすべてエクセル上にあって、ただ「数字はこうですう。つづいて、こうしたらどうですか」と言うだけなので、そこに新しい発想は必要ありません。だから、これも頭を使ってやることではないはずです。

企画会議とかで、いくつか案があって、どれを選ぼうかみたいなときだって、うんうんとうなって頭を使ったからといって、売れるものを選べるわけではありません。

比較検討する際には、「最近はどういったものが流行っているか」「類似商品には、どういうのがあるか」などの情報を参考にするものです。

そのためには売り場に行ったり、ネットリサーチしたりすればいいです。売り場に行くのは「身体を移動させる」こと、ネットで検索するのは「キーワードを入れる」ことです。

だから、仕事って「体を動かす」ことがメインになる場合が多くて、「頭を使う」ことはかなり少ないと思うのです。

遊びに全振りするくらいで、ちょうどいい

むしろ、頭を使い過ぎないほうが仕事は成功しやすいという気がします。

何かに没頭している状態は、脳科学的には「フロー」とか「ゾーン」とか呼ばれています。時間を忘れるほど集中して頭を使っている、脳的には「超、気持ちいい」瞬間です。

じゃあ、仕事でもそれくらい没頭するべきだ、なんて思うかもしれませんね。でも、人に何かを売り込むのも、エクセルに数字を入力するのも、比較検討してひとつを選ぶのも、単なる作業であって没頭する必要などありませんから、何もゾーンなんかに入らなくていいわけです。

僕自身の経験としては、過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが、仕事としての仕上がりのクオリティはかえって高くなる傾向があるように思います。仕事で「ものすごく頭を使ったなぁ」と思ったことがありませんし、それよりはるかに、遊びに頭を使っていると思います。

割合で言うと遊びに8割、仕事に2割くるあいでしょうか。

少し前にボードゲームの仕事に関わったときなんか、まさにそうでした。どういう感じだったかというと、まず「遊び」としてボードゲームで遊んだ後、今度は「仕事」としてボードゲームの打合せに移ったのです。

その日に遊んだのは「マーダーミステリー」というジャンルのボードゲームでした。

6人でプレイしながら犯人やトリックを暴いていくのですが、プレイヤーそれぞれに役割分担があったり、それぞれのキャラクターになりきらなくちゃいけなかったり、時間制限つきのミッションがいっぱいあったりと、かなり集中力を要します。

しかも、一度犯人がわかったらおしまいなので、プレイできるのは実質1回きり。おまけに5000円くらいするゲームなので、真剣にやらないとかなり後悔します。だから絶対にクリアするという緊張感をもって、脳みそフル回転でプレうするのです。

という感じで、めちゃくちゃ集中して遊んだ後で、仕事に移りました。僕らはゲームの作り手として、当然ですが相当にボードゲームで遊び慣れています。だから、それほど遊び慣れていない人たち向けに、軽めのボードゲームを開発するには、多少、頭が疲れている状態のほうがいいです。

ゲームへのこだわりがエスカレートしないし、ゲームを「仕事」として客観的に眺めることもできます。その結果、自然とゲームのレベルが初心者にちょうどいいレベルまで下がるので、万人受けしやすい商品が作れるというわけです。

「ある程度バカ」がうまくいく

たとえば機械などでも、多機能で複雑なものと、ボタンひとつで最低限の操作ができるものがあれば、機械いじりに頭を使いたい人は多機能型を選ぶかもしれない。でも、所詮それは少数派で、多くの人は操作に頭なんて使いたくないから、ボタンひとつで済むほうを選ぶはずです。

ここで機械好きの頭のままモノを作ると、往々にして自分と同じ少数派にしか受け入れられない製品を作ってしまいがちです。機械に限らず、モノやサービス作りの失敗の多くは、そこが一大原因だったりします。

先ほど挙げた僕のボードゲームの例も、これと同じだと考えています。

要は、仕事に頭を使いすぎると、成果物がマニアックになりすぎる。そういうことが起こりやすいというわけです。

やっぱり頭は使い過ぎない方が仕事は成功しやすい。だから、使える時間全体の2割くらいに留めたほうが仕事で成果はでやすい気がします。

ある程度バカになる。なんて言ったら感じわるいかもしれませんけど、あまり頭を使わないで受け止める人の感覚になって取り組んだほうが、世間で広く受け入れられるものができるに違いないと思っているのです。

もしも仕事に行き詰ったら、いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って、その余分で仕事をするくらいに考えたほうが、じつは、ちょうどいいのではないでしょうか。

そうすうれば、「仕事後は疲れ果てていて、遊ぶ時間なんて作れない」という悩みも、ついでに解決できそうですよね。

遊んでいると、いつのまにかお金が儲かっている人

収入が多い仕事は実際、楽しい

これは僕が実際に経験してきた中で思うことなのですが、収入が多い仕事のほうが面白みも大きいものです。

単に、報酬が高いから楽しいということではありません。仕事の内容そのものに、面白味を感じている人が多いと思うのです。

たとえば、売れているマンガ家やテレビプロデューサーになると、年収2千万円とかはザラです。

マンガ家はマンガを描くことが好きだし、テレビプロデューサーはテレビ番組を作るのが好きで、そこに人生の大半の時間を費やして大金を得ています。プログラマーなんかも同様ですう。

このように、収入が高い仕事ほど、じつはそれが嫌いでやっている人などはいなくて、それが好きでやっている人だらけなのです。

言ってしまえば、それはすべて趣味の延長で成り立っているような仕事です。趣味で集まった飲み会で出た話が、そのまま仕事につながったりするなど、どこまでが仕事で、どこまでが趣味かわかりません。

厳密に分けようと思えば、「これは、仕事だ」と言えないこともないけれど、その線引きがかなりあいまいという人たちです。だから、四六時中働いているともいえるし、逆に遊んでいるともいえるわけで、このタイプの人たちには「仕事の時間」と「趣味の時間」の線引きもほとんどないんじゃないかと思います。

つまり、就業時間という概念がないのです。

そして、僕もそのひとちなわけですけどね。ゲーム好きがゲームをやっていて、それが自動的に仕事になったりするから、仕事と趣味を切り分けたことがないし、その必要もない。

このゲームが、どう仕事に繋がるかとかを考えることもありません。

僕は最近、ボードゲームを作る仕事に没頭していますが、これも、もともとボードゲームを好きでやっていたら、仕事の話が転がりこんできただけです。

「好きだから延々できる」が価値になる

僕の場合、自分が動くのではなく、いろいろな業界の人が僕に声をかけてくれて、「じゃあ、やりましょうか」と乗って行くことが大半です。

だから、どうやったら趣味が仕事になるかを教わりたいなら、僕よりも適任者がいるかもしれません。ただ、こうして趣味が仕事に繋がっている理由を考えてみると、人よりかなり多くの時間を「好きなこと」に費やしているから、とは言えるかもしれません。

僕にとっては映画がそれで、1日に1本か2本は観ているので、少なく見積もっても年間500本はくだらないと思います。

聞くところによると、日本の人は、平均して年に1回くらいしか映画館に行かないらしいですね。映画館に行くかどうかだけでは判断できませんけど、世の中の大半の人が映画に時間を割かないのだとすれば、それは僕にとってのチャンスです。

僕は、他の人がまだ辿り着いていない映画の情報を知っているし、その情報がそのまま有利に働くことが多いというわけです。

趣味でやっていたことを評価されて、仕事を依頼されたり、イベントとかに呼んでもらったりするのって、自分以外の人にはできないものを、そこで求められているということですよね。

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